時差2時間の空間 -6ページ目

無力だけど




カレが風邪で寝込んで、仕事を休んでいる。

私もまだ仕事が始まらないので、薬の世話やなにやらをしながら過ごしている。


でも、「なにやら」がこれが大したことがない。
出来ることなんてほとんどない。

食欲もイマイチだし、着替えなくちゃいけないのはカレだし、水を飲むのもセキをするのもカレの仕事だから。


何かしてあげたい。


だけど、寝ていることが今はカレにとって一番大切なことだと思う。




無力だなー。



でも、無力だけど、ここにいてあげよう。
必要ならいつでも呼べるように。

セクシーさって?




私がただの友達として、少しだけ気取って、カレとカレの仲間といるとき、カレの親友が下手くそな日本語でよく口にする言葉。


Kicoはセクシーです。


(爆)


日本語を単語ごとにカレから学んでいる彼は、言いたいことを思いつくとカレにこっそりと、でも誰にでも聞こえる大声で訪ねる。


だけど、すごく個人的な意見なのだけど、それを言われているとき私は、セクシーからは程遠い自分でいるときだと思っている。



だから、セクシーってなによ?



そう思ってしまう。

流し目でも知らずのうちに使っているのだろうか。

それともただ、私の笑顔でも見たくて言ってみているのだろうか。





私はしばらく、カレにセクシーなそぶりを見せるのを恥ずかしいと思っていた。


抱きついて、よく訳もなく踊り始めるふたり。
カレは「Kicoちゃん、もっと腰を使って」などと言ってくる。
カレのくねくねした変な動きに、あわせろと言われて、ひざを使って動く私を、「ひざじゃないでしょ、腰でしょ!」と叱りつける。


恥ずかしい・・・^^;
できねぇす。。。



でもこの間、ウィル・スミスの新しい映画 『Hitch(ヒッチ)』 を見ていて、ふと思ったのだ。

わたしはただ、いたい自分でいればいい。変な踊りをしたければ、いつでもすればいい。カレは、そんな私をより可愛いと思い抱きしめてくれるに違いない。

だいたい、やれと言われていることをやって、カレが「おいおい、なにやってんだ。恥ずかしい」などと反応することがあるはずがない。

もともとカレはそんな人間じゃない。



「セクシー」も同じだ。


カレがセクシーな私をもっと見たいのは知っている。
いろいろな面をもつ私を、誰よりも喜んでくれるのがカレだろう。



だけど、セクシーさってなんだろう。
さりげなくセクシーでいるには、どうしたらいいんだろう。


一夜漬けではやっぱりダメなのだろう。
内からにじみ出るようになるまでは、時間がかかるに違いない。



セクシー探求中。

ご意見歓迎。^^

守護神と私




目に見えないものを信じない人は多いと思う。


幽霊とか、UFOや宇宙人とか、精霊、その他もろもろ。



私は上に挙げたもの全ての可能性を信じている。

夜の公衆トイレはカレが外にいても怖い。それは幽霊が出るかもと考えるからだ。
人類が宇宙にあまりに進出していくことを、私は懸念している。地球上で動物の命を絶えさせた人間なら、宇宙人の聖域を侵しかねないと考えるからだ。
アメリカ人が庭を綺麗にしたいからと、何十年もそこにある木を切り倒してしまうことに、私は悲しみをおぼえる。木が痛がっているだろうと感じるからだ。



そして守護神。


私は運がとてもいいと、昔から感じてきた。

時には自分の良い行いを自画自賛し、ほんのたまに前世の行いに想いを馳せ、残りのほとんどの場合に「神様」に感謝してきた。
とてもパワフルな、とても細やかな、とても迅速な私の守護神。


辛いときは、何か意味があるのだろうと、懸命に考えてきた。私にこんなによくしてくれる私の神様が、訳もなく苦しみを与えたり、助けの手を差し伸べないとは思わないからだ。


助けの手を差し伸べないと言うのは間違っているかも知れない。
考えているとき、ヒントを与えてくれていることにも気づくことがある。
そのヒントは、私の経験の中に散らばっていて、未知のものでも見出すことができるようになっている。
簡単なようでいてすごく難しい。

ふっと、どこを見ればいいのかを教えてくれているような気がするのだ。





愛も見えない。

行動にして、言葉にして、表してもみるけれど、やっぱり見えないものだと思う。
でも、こればかりはほとんどの人が信じているものだ。

何が違うのだろう。

愛だって、ときに人を傷つけて、恐れさせて。
生み出すものは多くの場合、目には見えない感情だったりするのに。




私は努めて、「自分のお陰」と思い込まないようにしている。

これって、すごく自分を卑下しているように見えて、実はものすごく偉そうな生き方かもしれない。
いつも、私だけの神様がそばにいてくれて、私がしなくちゃいけないことといえば、メッセージを正しく受け取ることだけだ。
贅沢。


でも私は、この贅沢を分けていこうと思う。私が触れ合う人たちに。
それですべてがチャラになるとは思わないけど。
そして多分、この姿勢さえもが、私が受け取っているメッセージなのだろう。



切りのないサークルのような、守護神と私の人生のダンス。